こよみの来伝
わが国に暦が伝来したのは、6世紀から7世紀のはじめ頃ではないかと言われています。
しかし、いずれも記録は断片的で、暦の伝来や使用開始については諸説あります。
533年(欽明天皇14年)6月、百済(くだら)※古代の朝鮮半島西部~南西部にあった国家 に、
暦博士(こよみのはかせ)の来日や暦本(こよみのためし)の送付を求めたと記録されています。
又、602年(推古天皇10年)10月、百済の僧 観勒(かんろく)が来日し、
日本の学生 陽胡玉陳(やこのたまふる)が暦法を、
大友村主(おおとものすくり)高聡(こうそう)が天文・遁甲(とんこう)を習ったとされています。
※遁甲とは・・・占星術の一種。天文現象から吉凶を判断して、人目をくらまし身を隠す術。
こよみの移り変わり
太 陰 太 陽 暦 |
暦 法 | 開始年 | 備 考 |
元嘉暦(げんかれき) | 554年~ | 太陰太陽暦の暦法。 | |
儀鳳暦(ぎほうれき) | 697年~ | 太陰太陽暦の暦法。定朔法を用いており、優れた暦法とされる。なお、この暦において初めて進朔が採用された。 | |
大衍暦(たいえんれき) | 764年~ | 太陰太陽暦の暦法。非常に整備された暦法であり、のちの暦法の模範となった。 | |
五記暦(ごきれき) | 858年~ | 太陰太陽暦の暦法。4年間のみ大衍暦と併用された。 | |
宣明暦(せんみょうれき) | 862年~ | 太陰太陽暦の暦法。日本においては823年間使用され、史上最も長く採用された暦である。 | |
貞享暦(じょうきょうれき) | 1685年~ | 太陰太陽暦の暦法。初めて日本人渋川春海の手によって編纂された和暦である。 | |
宝暦暦(ほうりゃくれき) | 1755年~ | 太陰太陽暦の暦法。和暦。先の暦である貞享暦より劣っており、1763年の日食を外したことにより不満が高まり、改暦となった。 | |
寛政暦(かんせいれき) | 1798年~ | 太陰太陽暦の暦法。和暦。西洋天文学を取り入れた暦法。 | |
天保暦(てんぽうれき) | 1844年~ | 日本で使用された最後の太陰太陽暦の暦法。和暦。それまでで最も精密な暦法と言われている。 | |
太陽暦 | 太陽暦(たいようれき) | 1873年~ | 初めて太陽暦であるグレゴリオ暦を導入。 |
カレンダーの日
日本で現在使用している太陽暦が採用されたのは1872年(明治5年)のことです。
当時、政府は「来る12月3日を新暦(太陽暦)の明治6年1月1日にする」と発表しました。
それまで太陰太陽暦で全てが動いていましたが、わずか23日後には暦が変わることになり、
その混乱ぶりは想像以上でした。
ですがこの改暦は、太陽暦を採用している諸外国と外交上で足並みを揃えるため、
そして日本が文明国家に仲間入りしたことを海外に広くアピールするための施行でもありました。
その後、社会は太陽暦に則り動いていきましたが、庶民の暮らしはまだまだ旧暦に依るところが大きく、
農村の種まきや祭礼日、親の命日などは旧暦通りに行っていました。
1947年(昭和22年)の調査では、「新旧暦を併用して使っている」と答えた人は全国で44%にものぼり、
いかに庶民の暮らしに太陰太陽暦が浸透していたかが分かります。
日本国民に大きな衝撃を与えた事実に基づき、全国団扇扇子カレンダー協議会は、
1988年(昭和63年)に12月3日を「カレンダーの日」と定めました。